【ネタバレ】ジブリ映画・君たちはどう生きるか【考察】

君たちはどう生きるかエンタメ

予告編などの前情報一切無しのマーケティング手法で話題になった2023年7月公開のジブリ映画「君たちはどう生きるか」をまっさらの状態で見ることに成功しました。

2013年公開の『風立ちぬ』以来約10年ぶり、82歳になる宮崎駿監督の最新作。年齢を考えても次回作の公開はわからないので、映画館で観ることができる最後の作品かもしれません。また、今回のマーケティング手法は、その宮崎駿監督というネームバリューがあるからこそ。

コスパとタイパの両方が需要視される現在、前情報をきちんと収集するのは公道様式になってますよね。

それゆえに、前情報が全くない状態で映画を見るというこれまでの人生でもない新鮮で貴重な映画体験ができるのは、魅力的でした。

今回は、このジブリ映画最新作「君たちはどう生きるか」をネタバレ込みで紹介、考察します。

下敷きとなったのは、1937年に発刊された吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」

映画を観る前の方は以下ネタバレがありますのでご注意ください。

ネタバレ「君たちはどう生きるか?」あらすじ

1:真人は母親の実家へ疎開し、新しい継母とアオサギに出会う。

主人公は、少年の牧真人(まひと)。軍需工場の経営者の息子で、幼少期に火事で母を亡くす。

その後、戦時中に父親と共に母方の実家へ、父親と工場と共に疎開する。と同時に父親は、なんと母親の妹ナツコと再婚することが決まっており、迎えにきたナツコのお腹には父親との子、つまり、真人の兄弟(姉妹)を孕っている。

疎開先のお屋敷の広大な庭の一部には、アオサギの住む塔のある洋館があり、入り口が塞がれている。真人はなんとなくそこに引き寄せられるが、屋敷に仕えているばあやにとめられる。ナツコから、塔は、本の読み過ぎで頭がおかしくなった大叔父によって建てられた物で、ある日、神隠しのように姿を消し、塔の地下も巨大な迷路のようになっているため、入り口が埋め立てられたと教えられる。

疎開して転校した真人は金持ちの息子であることから、地元の少年に馴染めず、帰り道に大勢に取り囲まれ暴行を受け倒れる。真人は、ボロボロになりながらも、帰り道に石を拾い、自分の頭を殴る。やや加減ができなかったのか、流血するほどの大怪我を負う。

帰宅すると、ナツコに応急処置をしてもらい、慌てて帰宅した父親に傷のことを問われるが、「道で転んだだけだ」と答える。

寝込んでいる真人の部屋に、アオサギが入り込んで来たことをきっかけに、真人はアオサギを追い、木刀で立ち向かうも、鋭い嘴で木刀をバラバラ折られ、真人に「母親が待っている。死んでなんかいない」と告げる。部屋で目覚めた真人は、夢かと思ったが、木刀を掴むと、一瞬でバラバラになる。

父親は真人の学校に怒りをぶつける中、ナツコは妊娠のつわりで寝込んでおり、「真人の顔が見たい」と教えられるが、真人はナツコを見舞うものの、まだ素っ気いない態度で、すぐ部屋をでる。

真人は拾ったアオサギの羽で、自作の弓矢を作成し、アオサギへ対抗する準備をする。そんな中、ナツコが森の中へ消えていくのを部屋から見かける。また、部屋で母親が真人のために残した小説「君たちはどう生きるか」を見つけて読み、涙を流す。

夕方になると、ナツコがいなくなったと屋敷中が騒々しくなる、父親は使用人たちと広大な敷地内を捜索する。真人も使用人の一人の老婆キリコと塔のある洋館に入り、閉じ込められ、アオサギと対峙する。真人はアオサギの羽根で作った弓矢を放ち、アオサギの嘴を射抜く。するとアオサギは鳥の姿から鼻の大きなおじさんになってしまう。塔の謎の人物の力で、真人とキリコは「下の世界」へ誘われる。

2.「下の世界」のキリコを手伝い、ナツコを探す

下の世界に落ちた真人は一人になっている。ペリカンの大群に追い立てられ、逃げるうちに古い門を開け中に入りこむ。通りすがりの船乗りが真人を救う。船乗りは真人と同じ上の世界の住人らしく、殺生できない下の世界の小さな住人「わらわら」のために漁にでて魚を取って暮らしている。真人はこの船乗りがキリコだと気づき、漁を手伝い、巨大な魚を捌くのを手伝う。魚を取ってキリコの家に戻ると、小さな住人「わらわら」が大量にあらわれ魚の内臓を食べる。

その夜、エネルギーの溜まった「わらわら」たちは、真人の前で一人、また一人と空へ舞い上がっていく。キリコによれば、わらわらは生まれる前の魂たちで、上の世界へ旅たっていくのだ。そこへ、ペリカンたちが現れ、無抵抗のわらわらたちを次々に喰らっていってしまう。慌てる真人の眼下の海へ船に乗った少女が現れ、不思議な力を使い、花火を打ち上げ、ペリカンを撃退していく。しかし、わらわらも巻き添えになってしまう。真人は「わらわらにも当たっている、やめろ」と叫ぶが、キリコは、この少女・ヒミが助けなければわらわらたちが全て食べられてしまい上の世界へ行けないといい、ヒミ様ありがとうとねぎらいの言葉を投げかける。真人は、自分の力不足とままならない状況に憮然としながら夜が更ける。

夜、便所に行き用を済ませた真人は、ヒミの花火で瀕死になっている老いたペリカンがいることに気づく。真人は慌てて包丁を取りに行き、ペリカンと対峙するが、ペリカンは素手に力なく、一思いに殺してくれと懇願する。老いたペリカンは、真人に我々の食料はわらわらしかない状況を語る。子たちの中には飛ぶことを忘れてしまったものもいて、どれだけ飛んで違う場所を目指しても、また同じ島に戻ってしまうのだといい、力尽きる。

どこからともなくあのアオサギがやってきて、真人を母親の元へとせかそうと試みるが、真人は耳を貸さず、スコップを取りに行き、穴を掘り始める。「墓を作ってやるんですかい?」アオサギは驚きながら静観するも、真人が持つ、弱点である自分の羽を見せられ押しだまる。しばらくするうちにアオサギも真人の水汲みを手伝わされながらも協力し合うようになる。キリコも含めアオサギと3人で食事を取っていると、アオサギがナツコの居場所を知っているという。キリコはアオサギと一緒にナツコを探すように真人を送り出す。まだ、真人はナツコのことを父親の大事な人であるとしか、キリコには伝えなかった。キリコは、上の世界のキリコに似た人形を真人にお守りだと渡し、送り出す。

その頃、上の世界では、ナツコに加えて、真人・キリコもいなくなったため、さらに捜索を進めるが、父親は頭を抱えている。古くからのばあやの一人が、あの塔の正体は、落下してきた隕石だったと打ち明ける。その隕石の周りを建物で隠して、洋館になったのだ。そして、真人の母親だった久子も、幼い頃神隠しに会い、1年後に同じ姿のまま帰ってきた不思議な事件もあったのだ。

3.「下の世界」で、ヒミと一緒にセキセイインコと対峙する。

下の世界で、アオサギと一緒にナツコ探す真人。アオサギの嘴の穴を塞げば、また飛べるようになるというので、枝を削って穴を埋めてやる。ナツコは鍛冶屋の小屋の中にいるらしいが、小屋には人を食う獰猛な二足歩行のセキセイインコが占拠している。

飛べるようになったアオサギがインコをひきつけ、小屋に入る真人。しかし、扉の向こうにはまだまだインコが溢れるほどいる。インコが「お待ちしておりました」と真人を迎え入れるように招くが、それは罠であり、後ろ手にはナイフや包丁を隠しているインコたちが真人を舌なめずりしながら、まな板へと誘導しているのだ。それに気づき真人は、ナツコも食ったのか!と怒るが、子供がいると食えないとインコは教え、お前なら食えると真人を追い詰める。

そこへ、突如現れたヒミがインコたちを焼き殺し真人を救う。

ヒミの火を使って瞬間移動する力で、ヒミの家へ移った二人。ナツコのいる石の塔へ向かう。ヒミは石の塔はどの世界にも存在しており、それぞれの世界へつながる扉があることを真人に教える。「132」と書かれたドアにたどり着くと、ここが真人の世界に繋がる扉だと教える。ヒミは妹はこの世界に残ると言っているからと真人を元の世界に返そうとするが、真人はそれを拒む。そこへ二人を追うインコ軍団が現れ、やむをえず、二人は132のドアを開け、真人の世界へ逃げ込む。ドアノブを離してしまうともう一度外の世界からノブを見つけることはできないとヒミは教えて、しっかり掴んでいるように釘をさす。現実世界では、塔を捜索に来た父親が現れ、真人に気づく。その時、インコ軍団も扉を潜り抜け現実世界へ飛び出してくる。インコたちは現実世界では巨大な人サイズからただのインコの姿に戻ってしまう。父親は真人がセキセイインコになってしまったと、糞まみれで騒いでいる。

インコたちが外に出きった頃合いを見て、ドアから「下の世界」に戻った二人。ナツコが隠れている産屋までたどり着く。真人はベッドで眠るナツコに元の世界に一緒に帰ろうと訴えるが、罵倒され拒絶される。優しかったナツコの面影はない。産屋に入る禁忌を犯した真人たちは、周りを囲んでいる石の力で追い出され、ヒミと真人は気絶してしまい、インコにより捕縛される。

捕まっている真人は夢の中で、不思議な世界に迷い込み、大叔父にであう。大叔父は「下の世界」の均衡を保つため、石でできた積み木を毎日監視している。この事業の後を継ぐように真人に願う。

目が覚めると、インコたちの調理場に捕まっている真人。そこへインコに変装したアオサギが現れ、真人の手錠を外して、脱出する。一方、ヒミはインコ大王に連れられ、大叔父のいる塔へ向かっている。

真人とアオサギは塔の外壁を協力してのぼり、インコ大王とヒミを追うが、塔の中に入って階段を登っていくと、インコ大王が階段を切り落とし、二人とも落下してしまう。

インコ大王は、ヒミを連れて大叔父様の元に到着し、眞人たちは産屋に入る禁忌を犯したことを告げ、この世界を自分達に託すようにと暗に伝えるが、もう少し様子を見てほしい、真人に後を継いでもらいたいとと大叔父は告げる。不満ながらも大叔父の元を離れたあるインコ大王は、さいど大叔父の元へ向かう真人たちの後を追う。

真人は道中でヒミと再会し二人で大叔父の元へ向かう。アオサギとインコ大王も後に続いている。ようやくたどり着くと大叔父は「ここに13個の穢れていない石がある。3日に一つずつ積み上げて世界のバランスを取る自分の役目を引き継いで欲しい」と真人に頼む。自らの血を引継ぎ、悪意のない人間しかこの仕事は出来ないと。真人は、石で殴ってできた傷を見せ、「これが自分の悪意です。」と固辞する。それでどうするのだと大叔父に尋ねられると「友達を作ります。キリコ、ヒミ、アオサギのような」と語る。

その様子を見ていたインコ大王が、こんな積み木なんかにこの世界を託すのかと怒り、でたらめに積み木を組み上げ、そして崩れてしまう。すると「下の世界」は崩壊を始めてしまう。真人たちは大叔父を残し、脱出し始める。ナツコは、下の世界のキリコに助けられ、真人たちに合流する。

真人はヒミに自分たちの世界へと提案するが、「私は真人のお母さんになる、それって素敵でしょ」とつげ、キリコと一緒に自分達の世界のドアを開ける。ナツコも姉であるヒミに別れを告げ、真人とナツコ、アオサギは「132」のドアを開ける。

崩壊する「下の世界」からペリカンやインコたちが真人の世界に雪崩こむと同時に現実世界の塔も崩壊する。「インコ大王!?」とつぶやく真人を見て、アオサギは「まだ向こうのこと覚えてんですかい?」と問われ、お守りが効いているのかもとポケットのたかの婆あやキリコの人形や大叔父の石を見る。アオサギは「じき忘れていく」とつげ、真人の前から姿を消し、キリコの人形が元の老婆の姿に戻る。

そして、戦争が終わり、真人に弟ができる。東京に戻ることになった真人たちは、家を離れる。そのカバンの中には、母から託された「君たちはどう生きるか」の本が入っている。

ネタバレ「君たちはどう生きるか」感想・レビュー

あらすじをまとめた見たものの、文章だけではどうも面白くないことがわかります。

やはり、映画は映像を通して感じるものでもあり、起承転結を読んでも、味付けが間違っていればおそらく全く面白くならないだろうと思います。

そして、このストーリーを作り、絵コンテを自ら仕上げたのが、宮崎駿監督です。ジブリ映画らしい見どころをたくさん盛り込んだエンターテイメント映画にきっちり仕上げています。

見どころ1:ジブリらしい作り上げられた2つの世界

「上の世界」である戦中の日本。「下の世界」である塔の中の世界。この二つの世界の中に入り込んでいく映画体験がジブリ映画らしい大きな楽しみです。

「上の世界」は、トトロを彷彿させ、古い日本の細部を抽出して追体験させてくれます。

「下の世界」は、海、空、洋館、そして鳥たちの世界。絶妙なバランスで混ざり合い、これまでに見たことのない新世界が、何の説明もなく現れるのですが、ここまでファンタジーだとリアリティの欲求もなくなり、すんなりとこういう世界ねと受け入れることができます。そもそも現実世界ではないと言っているのだから当たり前ですが。この2面構造で2つの世界のリアリティは損なわれないようにできているのは素晴らしいですね。最初から嘘の世界を見せるというわけではなく、リアルから地続きにあるファンタジーの「下の世界」。ここに入ってからは、次に何が起こるかわからないドキドキワクワクの映画体験が待っています。事前情報なしで映画を見れたこともこれを楽しめた大きな要因です。

鈴木敏夫さんはこれを狙っていたのでしょうか。

見どころ2:君たちはどう生きるかをどう解釈するか?

映画全編を通して様々な解釈ができるのもこの映画の楽しみ方の一つでしょう。

「君たちはどう生きるか」というタイトルを自分ごととして解釈していことが大きな一つの流れだと思いますが、大叔父が宮崎駿監督に見えだすと、アニメ業界、スタジオジブリ、そして、日本全体に対して、先人たちが、その場に対応して積み上げた積み木という危ういバランスになっている世界を託された人々は、どのように継承するか、という解釈も想定できてきます。

ジブリ的な観点で見ると、積み木はこれまで制作された様々な作品。ラピュタであり、トトロであり、魔女の宅急便であり、・・・・すごいバランスで宮崎駿監督という稀有な才能でバランスを保ってきましたが、大叔父がいなくなったら、もう。インコ大王みたいにリセットしてみたくなりますよね。というか一回リセットされましたか。

また、余談ですが、自分事にして解釈するには、まだ、往年のジブリファンである中高年層が中心になってみていたので、これが本当に届いてほしい子供たちに届くといいなと私は思いました。中学生・高校生あたりが「君たちはどう生きるか」を観て、大叔父たちを蹴散らして、新しい世界を作ってほしいと願うばかりです。

ちなみに私はどう生きるかといえば、もう、のんびり生きて、自分の周りの小さな世界を丁寧に作りたいと思っております。

君たちはどう生きるか?

まだまだそれぞれの立場や状況によって、見方も解釈も変わる素敵な映画でした。劇場で見ることができる宮崎駿監督の最後の作品かもしれませんので、ぜひ劇場に足を運んで観てほしい。

ちなみに序盤がややスローテンポなので、ポップコーンを多めに用意しておけば良かった。Mサイズでは序盤で食い尽くしてしまいます。ハーフ&ハーフでLサイズを1人で食べるくらいがちょうどだったか。

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